なぜあなたは「敬語の使い方」に鈍感でいられるのか。【福田和也】
福田和也の対話術
■丁寧語はなるべく使わない方がよい理由
丁寧語を重ねると、どうしても言葉は、砂糖をいれすぎたコーヒーのようになってしまいます。あらゆる敬語は、みな砂糖的な要素をもっていますが、そのなかでも丁寧語は、もっとも人工的で味わいのない甘みを発しているように思えるのです。私は大嫌いなのですけれど、ノンカロリーシュガーの類いのように。
たしかに、科学的に合成された甘みは、体に負荷をかけないでしょうが、多少とも敏感な舌は、自分が欺(あざむ)かれていること、もしくは自分が自分をごまかしていることに気づきます。だから、ノンカロリーシュガーが駄目だとは申しません。私はダイエットなどという男らしくないことはしませんがーーというよりも目先の快楽にきわめて弱いし、だいたい姿形のために享楽を抑制する方が、よほどカッコ悪いと私は思うのですがーー、しかしまた見目麗(みめうるわ)しい女性は大好きですから(よく食べる女性も好きですが)、若い女性のダイエットがいけないなどと云いません。しかしノンカロリーシュガーは、本当の甘さでないことを、そしてその甘さによって自らを欺いていることを意識しなければなりません。
丁寧語にも、同様の機微があります。それがきわめて質の悪い甘さを、また苦みの隠蔽(いんぺい)をしているということについて意識的でなければならないのです。
丁寧語をなるべく使わない一方で、尊敬語と謙譲語はどのように用いるべきなのか。
「敬語の乱れ」などが論議される場合、もっとも頻繁に指摘されるのが、尊敬語と謙譲語の混用ですね。
つまり、尊敬すべき相手の行動にたいして謙譲語を用い、謙遜すべき自分の行動にたいして尊敬語を用いてしまう。これはたしかにみっともないですね。
しかも、これは私の観察によるものですが、どちらかといえば、知識、それもブッキッシュな知識を豊富にもっている人ほど、謙譲語と尊敬語を混用してしまうという間違いを犯しやすい、まま犯すように思われるのです。
私の友人の料理人は、厨房で常に厳しいことで知られているのですが、あまりに威令が行き届いているために却って周りのスタッフの言葉遣いがおかしくなっています。エビを料理しようとして「オレのエビはどこだ」と怒鳴ったら、「ここにいらっしゃいます」などとエビに尊敬語を使っている。無論この場合は「ここにあります」もしくは「ここにございます」が正しい用法です。
なぜこういう間違いが起こるのか。
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